自身のオフィシャルサイトに退団をほのめかす発言をした件について、一部では彼を批判する声もあるようだが、なぜ批判されなければならないのかワタシにはまったく理解できない。批判しているヒトたちは、一昨年の球界再編問題で噴出した問題をもう忘れたのだろうか。
ワタシは当時、別サイトでもこのブログでも選手と球団の契約関係を指摘し、再三問題提起(になるほどワタシ自身に影響力がないのは承知の上だけどw)をしてきたところである。実際に今ウェブで読めるのは
'05年11月29日の拙稿「選手と球団の関係があやふやなままではならない。」ぐらいしかないが、できればご一読願いたい。別サイトに載せた分はDドライブに保存してあるけどね(笑ぃ
「そんなんめんどくせーや」とゆー方のために、ワタシの疑問をうんと端折ってワンセンテンスで述べるなら次のとおり。
『選手自身が、自己の契約に関して不特定多数の者が知りうる場で言及してはいけないのか?』
ワタシは「否」と答える。むろん、当事者間であらかじめ取り決めた事項を(口約束であっても)反古にしたり、機密事項の漏洩など組織の存続そのものに直接大きな影響を及ぼすような場合は別。あくまでも一般論を前提とした話であるのは言うまでもない。今日発行分の東スポではそれらしき記述(当事者同士の口頭による合意が存在するということ)があったが、しょせん憶測の域を完全に出ていないものであるから、それこそ『論ずるに値しない』。
選手会ストの時にも書いたが、野球に限らず、これからプロスポーツの世界を目指す若い年代のヒトたちが社会的経験値を高めるためにも、また自分自身のためにもこうした現状があるということを知っておいて決して損はない…と考えるからだ。むしろ指導者の方々には、彼ら(彼女たち)が社会人としての素養を高めるきっかけにしてもらいたいぐらいである。
少なくとも、野球協約なり選手と球団が取り交わす契約書の約款はすでに日本プロ野球選手会がオフィシャルサイトで公表しているところであり、この内容云々についてはもはや機密事項ではなく公然と周知されている事項である。しょせん建前であると突っ込まれるのは承知の上だが、本来選手と球団は契約関係において対等な立場であるのだから、桑田投手が批判を受けるのであれば、『新聞辞令』を平気で垂れ流すメディア及びそれらを操る球団も同様に批判を受けなければおかしいだろう。残念ながらそうでないということは、まだまだ野球協約あるいは選手契約の内容が知られておらず、世論が喚起され得ない状況であるということだ。ゆえに、彼だけが批判の矢面に立たされなければならない理由はないとワタシは考える。
日曜日から各種メディアによる報道を見聞きしていて思うのだが、批判的な言動をする評論家どもの言う
『筋を通すべき』とはいったいなんだ?ヤクザの世界じゃあるまいし、コトバに知性がまったく感じられないのがヒッジョーに情けない。なぜはっきりと『事前に球団の許可を得るべき』と表現できないのだ?お年を召したヒトにこの手合いが多い。よく言えば牧歌的な時代にのびのびと育った、悪く言えば法律や権利・義務を正しく学ぶ機会がないままプロになってしまった野球バカのなれの果てが、今でもでっかいツラして先輩風を吹かせてるもんだから、まともな意見など出ようはずもない。つまりは、あーいうヒトたちの話ばっかり聴いていても実になる議論なんかになるわけがないってこと。
もちろん、ワタシは「事前に許可が必要」とはこれっぽっちも考えていない。契約とは当事者の合意によって成立するものだからだ。ジャイアンツが今後も桑田投手を戦力として考えているのなら全力で慰留すればいいし、そうでなければ自由契約にすればいい。桑田投手は、現状では到底合意に至ることはないだろうと判断しているということ。それだけの話である。正しいとか間違いだと論じるような内容の話ではない。
だから、契約自由の原則にもとる任意引退とゆー制度が未だ見直されていない現状にワタシは大いに異議がある。フリーエージェント制が代償措置のルールとして全く機能していないからだ。この話はいずれ機会があれば。