こないだ書きそびれましたのでここで…9月2日の話。
最近、ワタシの寝起きから通勤時間帯はもっぱらBAY-FMのパワーベイモーニングがお耳の恋人wだったりするのですが、7時のデリナビで選挙特番の話題が取り上げられたときのこと。コラムニストの某氏(名前失念)が、日テレの視聴率がトップだったのを受けて「イモトアヤコ嬢が(24時間テレビの放送枠内で)ゴールしないように引っ張ったんでしょうねわっはは」ってな感じでパーソナリティの斉藤りさ女史と半ば笑い飛ばしていたゎけ。
で、8時の時報明けに読まれたのが苦情のメール(ファックスだったかな)。
曰く、「イモト嬢もスタッフも一所懸命やってるのに何を茶化してるんだ謝りなさい」とゅー趣旨の、バカのくせに上から目線の文句。
にぃにのことなんかすっかり忘れているくせに(失笑 こーいうことには脊髄反射する千葉の山ザル(周辺都県の可能性もあるけど)が公共の電波で恥をさらしくさって…とワタシは苦々しい思いで斉藤女史の苦しい?弁明(それでも最後まで謝罪の表現はありませんでしたグッジョブ)を聴いておりましたゎ。
あの番組が単なるお祭り(バカ騒ぎ)であることはもう周知の事実でしょうに。騒ぐだけならいいが、なまじチャリティーというヒツジの皮をかぶっているばっかりにみんな「自分はいいことをした」という気分に浸っているだけじゃないか。
チャリティーを通して、有形無形のハンディキャップを抱えている人たちが一般社会でいかに差別されているか、健常者(ここではあくまでも便宜上の表現として使う)と同様かそれに近い環境で生活できるかを考える・実際に行動することを目指す…というのが本旨だったはずじゃないの?
ならば問いたい。この番組で社会環境が変わったのか?
変わっちゃいないよ。
バリアフリーやらユニバーサルデザインといったものはあくまでも役所(とハンディキャップが)主導。パンピーにとって、ハンディキャップがあくまでも非日常的存在であることにまったく変化はない。非日常だからこーいうことをしたら困るヒトがいる…ということまで頭が回らない。それが証拠に、相変わらず駅周辺の歩道では点字ブロックの上にチャリがずらりと並んでるし(これはいささか旧聞に過ぎるかもしれないが、そうでなくても無秩序な駐輪がハンディキャップに限らず他人に迷惑をかけていることには違いあるまい)、PAやらSAやらスーパーの車いすマークの駐車スペースに「無資格者」どもがクルマを駐めてヘーヅラこいてやがる。
ホワイトバンドといっしょだよ。あいつらしょせんバカだから、懐の痛まないカネを賽銭箱に放り込んでそこで思考が止まってるんだろっての。
「しない善よりする偽善」?
バカじゃないの?マジ死ねばいいのに。4年前にも書いたけど、偽善は偽善。どう逆立ちしても善にはなり得ない。
当人たちが遊びでやってるゎけでないのは承知の上でいじってるんだょ。あのコーナーじゃ、イモト嬢自身の悪口なんかひとことだって言ってなかっただろうが。