今までさんざん書きそびれてたのでここで書いちゃおうかなっと。
自由とゆー概念自体を「自ら」勝ち得ていない者に、そんな判断力があるハズがない。
所沢でも日の丸&君が代に起立&脱帽もしない野郎がいたんですけどね(ちなみに、このクズどもはソフバンのメッシュジャージ着てました…もっとも、マリスタでもMメッシュジャージ組にこんなクソが散見されますからソフバンサポの方だけを槍玉に挙げるつもりはありませんが)。
東京地裁の『一審』判決でいきり立ってるバカが多数見受けられますが、ならば問いたい。裁判以前に、おまいらは強制(あるいはガイドライン・通達といった類似の表現)を伴わなくても、自ら『公共の福祉』とゆー概念に基づく行動ができるのか?
ワタシ自身の日常生活を基準として判断するなら、この問いにイエスと答えられる者の方が圧倒的に少数であると断言する。しょせんおまいらの行動基準は「てめぇさえよければいい」とゆーエゴイズムを一歩も脱けだしたものではないからだ。自由あるいは権利という概念が無制限でないことは、日本国憲法ではっきりと明文化されている。戦後60年を経過したにもかかわらず、この概念が未だにないがしろにされたままであることを、ワタシは心底憂う次第である。
あっそうそう。「日の丸&君が代を強制すんなグルァ」って裁判まで起こしたヒトたちは、日の丸&君が代に敬意を表する行為を『お上の言うがままのマリオネットとして行動するかわいそうなヒトたち』とゆー誤った認識があるんぢゃないか?ワタシは、日の丸&君が代に限らず、他国の国家&国旗に対してもきちんと起立&脱帽&グラサンをハズして敬意を表する。もちろん自らの意思&歴史観でね。