再三書かれてきた、いわゆる薬物疑惑に関してはまるっきり本気にしていなかった。信じていたのに裏切られたとは言わないが、まさかいくら彼でもそんなことはないだろうと思っていたのは確か。かくなる上は、元同僚のコメントじゃないが、全部洗いざらい白状して一日も早く立ち直ってほしいとしか言いようがない。
彼を知る人が次々とテレビ画面に姿を現す。
その中に、高校時代の野球部の監督という人がいた。私が耳にしたのは、最後に会った時の話のみで監督氏の発言の一字一句全部を聞いたわけではないので、文字にするのは少々はばかられるが、「この人なんか他人事のようにしゃべるなぁ」という印象を拭い去れずにいる。
それは、高校野球というものが極めて特殊な環境に置かれているということと決して無関係ではないと思うのだ。
清原氏のようなケースはレアケースのそのまたレアケースということは容易にわかるし、大部分の高校球児はそんなことと無縁のまま過ごしているのは承知の上で言わせてもらうが、あの監督氏は、自らが教育者としての立場にもあることを自覚していたのだろうか。
むろん、全国大会に出場するような強豪校などは、「それ」だけのために監督が招聘されるということも知っている。ただ、勝つためには仕方がないと割り切るには、高校野球も含めたアマチュア野球が世間一般で「教育の一環」という位置づけであることと整合性が取れないんじゃないかと思うのだ。
毎年ある一定の時期に、全国高校野球連盟という組織から巷間言われるところの「不祥事」を起こした部に対する「処分」というものが報道される。他のスポーツではこんなことは皆無なのか、あるいはあっても報じられていないだけなのか、野球に関しては事細かに書かれている。たぶん都市伝説なんだろうが、ライバル校を蹴落とすためにそうした情報をリークするなんていう話も聞き及んだことがある。
果たして、高校野球は教育の一環たりうる存在なのか?と私は疑問を新たにした。
しつこいようだが、大部分の高校球児には別世界の話だし今回の一件が特異なものであることは承知の上。ただ、こんな話を聞くにつけ、先に書いた「特殊な環境」の中で道を踏み外さないように人生を全うするのは不可能なんじゃないか。
詳しい話をいちいちあげつらったりはしないが、あのころは悪かったという武勇伝的な語り口をする手合いが後を絶たないのは、高校野球が教育の一環として存在し得ない(もっぺん言うが特殊な環境下での話)ことの証左ではないだろうか。
飛び抜けた活躍をすれば、周りがちやほやする。ちやほやの内容は改めて並べるまでもない。小さい頃から野球ばっかりやってきたうぶな少年が突然そんな環境に放り出されれば勘違いして当然だ。まして、指導者が勝つことしか考えていない。野球が上手ければ頭を押さえる立場の者がいないのだから、どんどん軌道をそれていくのは自明の理。指導者自身が教え子をプロに「売って」バックを得るとか、教え子にたかるなんていう話も聞き及んだことがある。
清原和博氏がそうした歪んだ構図の犠牲者と言ってしまうのは簡単だが、今回の件を、単にドロップアウトした男の事件とは捉えてほしくないし、私自身もそう思いたくない。ひとつ言えるのは、全国高校野球連盟という組織は、腐ったみかんを放り出しはするが、みかんが腐らないよう手段を講じるところではないということ。